黒髪の野乃

タイトル前の記号は、心への刺さり具合です

角田光代「愛がなんだ」を読んで

kindleunlimitedでいい読書ができました。まったく、恐ろしいサービスです。

 

どろどろの写実

主人公テルコがさほど格好の良くない男マモちゃんに執着しまくる、という話です。とてもとても要約すると。

主人公の思いは、恋愛らしきものから確固たる執着へと変貌をとげます。「愛がなんだ」という題名に窺えます。

のみならず、執着にまみれて恋がわからなくなることや、下位にいる人を見て自身の安心を得ることなど、どろどろとした感情も潜んでいます。その、どろどろを、よくもまあここまで正確に文字に起こせるものだと感じ入ってしまいました。

このどろどろは角田さんの作品によくあり、きっと女性読者は手を打って大きく頷けるのでしょうけど、男性が読むとどうなのでしょう。「小説の感想に見る男女差」みたいな研究があれば見てみたいです。

 

終始やるせない

冒頭、やるせなさがどっと押し寄せました。当初、この冒頭部分は感想文に載せようと思いましたが、予想を裏切りそのまま怒涛のやるせなさが続きます。

唯一、最後のみ主人公の進む道が明らかになったときは、やるせないとは感じませんでした。根のないけれど深すぎる執着心は己をだめにするとわかっていて、抜け出す気もないのだから、もはや潔く思います。不幸でもいいんじゃない。対して、ストーカー同盟を組んでいたナカハラくんが不毛な執着から抜け出せたのは、胸のすくような救いでした。

 

大人になるとは

脱線します。

主人公の、好きな人に依存してしまう感情は理解できます。けれど、それにともなう行動は大人になるほど消えていくものだと思っています。青春時代の痛い思い出、というのがよくありますよね。若気の至り故の行動です。

それが、大人になるにつれて学習して、理性を備え、打算的になると思っていました。

対して、割り切れないのが主人公です。本作があまりに生々しいので、私はこの主人公のような人が世の中にたくさんいるように思えてしまいました。

ストーカーのような極端な例を除いて、実際のところどうなのでしょうか?大人は案外大人になれていないのでしょうか。恋愛は経験も打算も凌駕する判断を下すのでしょうか。

 

小説家はすごい

女性の感情をこれほどまで写実した角田さんの頭の中はどうなっているのでしょう。常時、文字で氾濫してそうですね。